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娘の記録。

0歳で保育園、
3歳半で渡米。
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ある日、何かのきっかけで
パパがヒトの進化について話をした。
昔はヒトは猿だったんだよ、とか、
アフリカから、ある人たちはアジアに、
ある人たちはアメリカまで、移動してきたらしいよという
大雑把な講義を、食事中にしたのさ。

そしたらその講義を娘は気に入ったようで、
その数日後の夕食時にもまた、
「この前みたいな話、して」とパパにお願いしてた。

どんな話がどんなタイミングでどんな角度で興味を引くもんか、
わからないもんだねぇ。

またある日、
パパがyoutubeでヒトの進化についての特番を探してきて
見せてみた。

番組の進行で、ナビゲーター役の俳優が
ネアンデルタール人に変身し、絶滅を語った時、
「この人(=俳優)は死んじゃったの?」の問いに
「いや、この人(=俳優)は死んでないよ、
 ネアンデルタール人という種類が死んじゃったんだよ」と説明したり、
「なんで死んじゃったのに、ここにいるの?」
「いや、それはテレビを見てる人がわかりやすいように
 この人が特殊メイクっていう特別なお化粧で、変身して見せたんだよ」
などなど、思いがけない質疑応答になるなど。

まだ時間の概念があやふやで、例えば「祖先」を説明するにも、
おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんの…ずーっとずーっと前、と説明したり。

他の言葉で言い換えられるうちは、自分もちゃんと理解してるんだなと安心するけど、
そのうち、なんとなく理解しているが言い換えられない事項が出てくるんだろうな。
図鑑が大好きだった夫と違って、私は博学ではないが、
5歳児レベルに翻訳するのは夫より私の方がうまいと思うので、
夫から講義を受けて、娘に授けることも出てくるかもしれないな。
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こどもチャレンジを一緒にやっていて、
「イルカのこどもは5歳くらいまで
お母さんと一緒にすごす」と書いてあったので、
「5歳より大きくなったら一人で過ごすのかなぁ、
そういや、ゆいちゃん、もうすぐ5歳だね」と言ったら、
娘は悲しそうな顔をして、
「ゆいはお家にずーっといたい、パパとママと一緒にいたい」と訴えてきた。

かわいいやつめ。


初めて「バカ」という言葉を使った時、
そしてそれ以降使うたびに、
そんな言葉は使ってはいけない、言われた人は悲しい気持ちになると
激しく叱る。

んで、すっかりNGワードと認識して定着したのだが、
娘としては捨て台詞にどうしても使いたい時がある様子で、
最近では苦し紛れに「ママのブビ!」などという。

怒っているのに笑いがこみ上げるのだが、
笑ってしまっては立場もないし、注意もおざなりになってしまうので
ママは耐える。耐えるのよ。

「ママのブビ!」って、何よ…。
娘に発音を注意される日がこんなに早く来ようとは。

家の前でmarble(ビー玉)を拾った。
Rの発音は気をつければなんとかなるんだけど、
最後のLが難しい。

「ママ、違うよ!marbleだよ!」
「うん!そう!」

なんども言い直して数回に一回合格をもらう。

あぁ、娘よ、あなたの耳はかくもしっかり鍛えられて。
ママは誇らしくも…悔しいわ!(苦笑
 今日は幼稚園の担任との面談。
11月以来の面談で、それからどう成長があったか、
日頃どう頑張っているか、まぁ先生から聞かせてくれるわけだ。

この子はなんと優秀な子なんだろう!と
親バカ全開になってしまうような、お褒めの言葉が並んだ。

でもまぁ、自分の子供だということを差し引いても、
あぁ、この子ならそうしそうだなとか、
日頃の本人の話ぶりやかい間見るから察すると、
先生の言葉に大きな誇張はないなと思った。

先生の真似して先生役をやってみたり、
お友達を助けたり。
先生からリーダーシップという言葉が出てきたけど、
以前日本で通っていた保育園の先生からも
ムードメーカーという言葉が出てきたこともあるから、
そういうタイプの子なんだろう。

渡米以来、入園以来、
前向きに取り組んで、馴染んでいる娘が、本当に誇らしい。

先生にもすごく恵まれたと思う。
この1年受け持ってくれた担任は、
子供達のことを本当によく見てくれた。
お迎えに行った時に会えば、
今日はどんな様子だったと聞かせてくれたり、
こちらが心配から伝えたこともしっかり見守ってくれたり。
娘もすごくなつき、信頼していただろう。

6月からは一つ上のクラスに上がる。
突然クラスが変わってギャップが大きくないように、
もう数ヶ月も前から上のクラスと行き来しているので、
大きなショックはないと思う。
思うけど、それでも担任とはお別れなのでそこはちょっと寂しいだろうな。
kindergarten への準備から、これまでのクラスより
座っている時間も長くなるだろうから1日の活動内容も少し違うだろう。
夏休み期間だから、クラスにいる顔ぶれも少し変わるだろう。

いろいろ違いに戸惑う数週間になりそうだけど、
きっとなんとかこなせるだろうし、親はしっかり見守りたい。

ママにできる一番簡単なことは、
娘の帰宅前にできる限りの家事を済ませ、
娘の話を聞く時間、娘と遊ぶ時間を確保することだろうな。
ひらがなの読み書き練習を始めて久しいですが、
今日!ついに!自ら!本を読んでくれました!
注;1ぺーじですけど。

これまで、
タイトルだけ読ませて、読めれば大いに褒めたり、
引き続き読ませよう、さらに気分を乗らせようと
あれこれ試してきては失敗して結局「ママ、読んで!」だったけど
ノンタン赤ちゃん絵本の1ページを読んだことをきっかけに
「自分で読めると思う」といいながら、
その本1冊の8割と、にんぎょひめを1ページ、
1文字ずつではあるけれど、なんとか読み通した。

ひらがなに取り組んだのはこちらにきてからで、
つまりイコール、ママの指導=努力が実を結んだわけで、
ああん、もう!ママは嬉しい!
ママ!よく頑張った!

この調子でどんどん読んでもらいたいな。
自転車に乗れるようになりました。

ストライダーで鍛えたバランス感覚、
きっともっと以前に乗れたのだろうけど、
自転車のタイヤの空気をようやくいれたことで、
本格的に自転車練習をして、ついに乗れるようになったよ。

漕ぎ出しから両足をペダルに載せようとするので、
最初はパパに押さえてもらってのスタートだったけど、
そのうちなにやらうまく漕ぎだすことを覚えた。

自転車に乗った我が子を見ると、
あぁひとつ成長したなぁと感慨深く、嬉しくさみしい。
ひらがなも数字もアルファベットもお勉強中。
アルファベットは放っておいても覚えるだろうからいいとして。

現状は…

1から10まで、順番に数字を並べさせると、6と9が時々ごっちゃになる。
書かせると5が鏡文字になる。

口頭で数えることは問題ないが、配置させたりすると、混乱。例えば21、22に続いて、23を配置させるのに、2と3がつくよというヒントでは、32を選んだり。

今日は1から40までを数えながら配置させてみた。1から10までは、まぁ楽勝。その下に11から配置させた。1のくらいが揃うように。
すると、途中で気付いた様子。
1の位は1から0の繰り返しだな、その左側にくる数字(10の位)は0になるまで変わらないのだな、と。
並べるスピードが格段に上がったし、これ?と確認してくる答えの正解率が上がった。

問題集や壁掛け一覧表の類でも、1から10、もしくは20くらいまでは並んでる状態を目にするけど、それ以上の数はなかなか並んでいるのを見ることがないよね。
40まで並べたことで、その規則性を目で見て確認できたことで、あ!と思ったんだと思う。

ひらがなは、最近はお買い物ごっこで読ませる機会を増やしてる。買い物メモも渡して、「これを買ってくるようにパパから頼まれましたー」とかなんとか言いながら。

飽きない、もしくは諦めない程度に、遊びに組み込むのは難しい。でも、遊び始めて集中し始めて、娘が手応えを感じてくれた瞬間を見られるときは、本当に嬉しく、こちらも楽しい。
アルファベットに触れる機会は多いので、あまり心配はしていないのだが、ひらがなの習得については結構やきもきしている。

こどもチャレンジを講読してるので、そのワークをやらせてみたり、ひらがなドリルをやらせてみたり、絵本の一部を読ませようとしてみたり。

本人は失敗することが怖いのか(自分を見ているようでもどかしい、変なところを受け継いだもんだ)、すぐに諦めてママに読ませようとする。

ところで先日、道路に落書きする用のチョークを買った。早速ガレージの前で落書き。最初は花などを描いてあげていたが、ふと思って、数字を書いてまるで囲み、ケンケンパの要領で辿らせてみた。
1から順に数えることはできる。ただ、13といわれて、えーっと13ってどれだ?1、2、3…ってな具合に13を探すことが多々。

そこでゲームを始めてみた。
ランダムに数字を言ってその数字を探して踏むという簡単なもの。3といわれれば、3まで駆けてていって踏み、娘ばかりが答えるのでは娘も嫌になるだろうから、ママと娘と順番に数字を発して数字の踏みっこをした。
体を動かしながらが良かったのか、これは飽きもせず、諦めもせず、結構時間を使った。色の名前もまぜて、娘は自分の名前も書いて、織り交ぜた。

毎夜の 寝しなの読み聞かせは、娘にタイトルだけ読んでもらうことを課し、日によっては諦めて逆ギレすることもあるのだが、この日の夜は前向きに挑んでくれた。

何を学ぶにしても、興味を持つこと、もしくは楽しいことが大事だよなぁ。親にできるのはいかにそのきっかけを用意できるかだなぁと改めて感じたよ。ちょっとした発想だったり取り組み方を変えるだけで思いがけず前に進むことがあるんだよね。
こちらも試行錯誤で楽しい学習法を編み出していかないとだなぁ。

ちなみにパパは、こういうことに付き合うのに向いてないなw
娘がすぐ諦めること、投げ出すことにパパがイライラしている様子がわかる…。
easter sundayに、今年は我が家でもエッグハントをしてみた。

小さな景品(今回はチョコ、シール、1ドルのネックレスなど)を
プラスチック製の卵に入れて、6個用意し、
前日の夜、夫に家のあちこちに隠してもらった。

旅疲れでささっと起きる元気もなく、
ダラダラとしているうちに娘が洋服ダンスから一つ目を見つけた。
他も探し始めるも、娘はいつも探し物をすぐ諦める。
娘 「ママ、一緒に探して」
ママ「⚪︎⚪︎はみたの?」
娘 「みてない」
ママ「見てみたら?入ってると思うよ」
娘 「(見もせずに)ないと思う」
ママ「みないと、あるかないかわからないよ、見てみたら」
娘 「ママ、みつけてよぉ」
すべての探し物はこんな感じ。

そのうち、お寝坊の夫も起床。
みつけられない娘をみかね、ニヤニヤしながら
アドバイスもだんだんあからさまになっていく。
隠した側としては、早く見つけてほしいよね、そりゃぁ。

無事6個見つけるも、中身には特に興味がないのか、
さっさと他の遊びに移った娘。
なんだかエッグハントを一番楽しんだのは、
卵を隠した夫だったんでは…という思い出が残りましたとさ。
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